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[転載]山口県の土井が浜人類学ミュージアム近くの神功皇后神社には、蒙古鉾があります

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神功皇后神社
 
 
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 1849年、吉田松陰が神功皇后の祠に謁し、蒙古鉾と伝える9枚を見る。
 
 
 
 
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 阿金
桂玉
高信
智貞
妙恵
鎌倉の森
田耕 川中曽 蒙古塚 継石
 
 
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【御由緒】
   神功皇后神社
所在 (山口県)豊浦郡豊北町大字神田上千七百番地
主神 神功皇后
配神 仲哀天皇 應神天皇 住吉三柱神 事代主神 蛭子神
例祭 11月8日
宝物 木造狛犬 室町時代1対、伝蒙古鉢
由緒 
 後宇多天皇の弘安年中(1278~)に蒙古軍が土井ケ濱に襲来した時に執権北條時宗の命を受けて此の地に派遣された武将が蒙古軍を撃退することの容易でないことを憂いて神功皇后新羅征討の故事を思い幣帛を奉って奉斎したところ神の御稜威が現れて蒙古軍を無事撃退出来た事を感謝し伏見天皇の正應元年(1288)正月二十九日から御祠の造営にかかり七月十日に成就した
社殿 寛永三年(1626)七月吉日 再建
   現拝殿 昭和五十七年三月吉日 建立
特殊神事
   濱殿祭は蒙古襲来による多くの御霊を鎮め奉り悪疫退散と平和を祈って七年に一度行われる
   昭和51年11月24日山口県無形民俗文化財指定
 (境内由緒板(石造・昭和61年)より)
 
 
 
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 継石
 
 
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 碇石
 
 
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朝生
内山貞子
 

志賀島の戦い

志賀島を占領し、海上(恐らく日本軍)の様子を窺う元軍将兵。詞書は失われ詳細不明。
蒙古襲来絵詞』後巻・絵20・第35紙
志賀島の戦い[257]
東路軍目指して進軍する関東御使・合田遠俊筑後国御家人・草野経永筑前国御家人・秋月種宗肥後国御家人・大矢野種保種村兄弟らの軍船。
蒙古襲来絵詞』後巻・絵14・第17紙
モンゴル型兜
河野通有奉納『黒漆塗革張冑鉢』

重要文化財大山祇神社所蔵
  • 1281年6月6日、博多湾沿岸からの上陸を断念した東路軍は陸繋島である志賀島に上陸し、これを占領。志賀島周辺を軍船の停泊地とした。
 東路軍の管軍上百戸・張成の墓碑によると、この日の夜半、日本軍の一部の武士たちが東路軍の軍船に夜襲を行い、張成らは軍船から応戦した。やがて夜が明けると日本軍は引き揚げていった。
  • 6月8日午前10時頃、日本軍は軍勢を二手に分け、海路と海の中道伝いの陸路の両面から志賀島の東路軍に対して総攻撃を敢行した。
 海の中道を通って陸路から東路軍に攻めいった日本軍に対して、張成らは弩兵を率いて軍船から降りて応戦。志賀島の東路軍は日本軍に300人ほどの損害を与えたが、日本軍の攻勢に抗しきれず潰走する。
 東路軍の司令官で東征都元帥の洪茶丘は馬を捨てて敗走していたが、日本軍の追撃を受け危うく討ち死にする寸前まで追い込まれた。
 しかし、管軍万戸の王某の軍勢が洪茶丘を追撃していた日本軍の側面に攻撃を仕掛け、日本兵を50人ほど討ち取ったため追撃していた日本軍は退き、洪茶丘は僅かに逃れることができたという。
 海路から東路軍を攻撃した伊予の御家人・河野通有は元兵の石弓によって負傷しながらも太刀を持って元軍船に斬り込み、敵将を生け捕るという手柄を立てた。また、海上からの攻撃には肥後の御家人・竹崎季長や肥前御家人の福田兼重福田兼光父子らも参加し活躍した。
  • 6月9日、東路軍の張成らは防御に徹して陣を固め、攻め寄せる日本軍に対抗するなどして奮戦した。しかし、この日の戦闘も日本軍が勝利し、東路軍は敗戦を重ねた。
この志賀島の戦いで大敗した東路軍は志賀島を放棄して壱岐島へと後退し、江南軍の到着を待つことにした。
 
 

長門襲来

  • 東路軍の一部は中国地方の長門にも襲来する。
 広橋兼仲の日記『勘仲記』(1281年6月14日条)によると、東路軍の軍船と思われる軍船300艘が中国地方の長門の浦に来着したことが大宰府からの飛脚によって京都に伝えられたことを記載している。
 また、壬生顕衡の日記『弘安四年日記抄』(6月15日条)にも「異國賊船襲来長門」とあり、長門に元軍が現れたことが確認できるが、長門襲来の実態に関しては史料が少なく不明な点が多い。
 
 
 
 
 
 
 長門探題(ながとたんだい)は、一般には1276年建治2年)に鎌倉幕府元寇に対処するため、長門国に設置した最前線防衛機関の呼称として知られる。長門守護の権能を受け継ぎ拡大したものと考えられるが、詳細は不明。初代に相当するとされる北条宗頼以後、北条氏一門が任命された。
 史料上では、北条時直に対してのみ「長門周防探題」の称が確認されている(『忽那文書』元弘三年三月二十八日「忽那重清軍忠状」)。
 
 

沿革

 1274年文永11年)10月、軍が九州北部方面に侵入したこと(文永の役)を契機として、鎌倉幕府は1276年に最前線防衛の強化を企図して執権北条時宗の弟である北条宗頼を長門守護に任命し(凝然自筆『梵網戒本疏日珠鈔』巻第八紙背文書建治元年「守護交代注文」)、長門へ派遣した。これが長門探題の始まりと考えられている。蒙古襲来という非常事態に対処するため、宗頼には他の守護よりも強大な権能を与えられていたとされるが(『日名子文書』建治二年三月八日「北条宗頼書状」)、その権能の詳細は明らかでない。
 
 長門には長門警固番役が設置され、1281年弘安4年)の元寇(弘安の役)に際し、元軍が襲来したとの伝承が残るが、確認できる時期は比較的新しい(『風土注進案』先大津宰判神田上村)。長門への襲来は、史料の不足などにより詳細は不明。
 
 長門守護職は周防守護職も兼ねることが多く、長門周防探題の呼称はそのためであろう。また後世には、長門探題の権能が拡大されて山陽道・山陰道全域の検断を管轄していた時期もあったため、中国探題と呼称されることもある。
1333年元弘3年)、全国的に鎌倉幕府への反旗が上がり、九州では幕府の重要機関である鎮西探題が激しい攻撃を受けた。
 そのため、当時の長門探題北条時直は鎮西探題の救援に向かったが、たどり着く前に鎮西探題は滅亡してしまい、時直は豊前国柳ヶ浦で降伏することとなり、長門探題の歴史もここに幕を閉じた。 その後の室町幕府では、将軍足利尊氏の庶子である足利直冬が長門探題に任命されている。
 

名称と実体

 史料上「長門探題」は北条時直が知られるのみであるが、北条宗頼以後の北条一門がつとめる長門守護は、他の守護よりも強い権能を持っていたことが散見され、後世における「長門探題」の名称はそれによると考えられている。ただし、その実体はつまびらかではない。
 
 

設置位置

 1276年に北条宗頼が長門守護職に補任されて、長門探題が実質的に創始される以前は、二階堂氏が長門守護職にあった。しかし二階堂氏は鎌倉に常駐していたため、現地代理人として三井氏が長門守護代を務めていた。三井氏の屋敷跡と考えられているのが、下関市安岡富任にある「三太屋敷跡」遺跡である。
 
 通常、鎌倉期の守護は鎌倉に在住したままで、現地へ赴任するケースは多くなかったが、長門守護に任命された北条宗頼は、対元防衛の最前線司令官として実際に長門へ赴任する必要があった。現在、北条宗頼が駐在した守護所として、もっとも有力視されるのは、長門国衙が存在していた長府(現下関市長府)である(中世諸国一宮制研究会『中世諸国一宮制の基礎的研究』)。
 
 また、後に三井氏は豊浦郡室津(現・下関市豊浦町室津)へ転居していることから、地元安岡地域では三井氏は富任の屋敷を北条宗頼の居所、すなわち長門探題の拠点として北条宗頼へ譲ったとする説(安岡郷土史同好会編『下関市安岡 歴史探訪と観光案内図』)もある。
 
 
 

長門警固番役

 
 長門警固番役(ながとけいごばんやく)とは、鎌倉幕府軍の襲来に備えて長門国(特に関門海峡とその周辺の沿岸部)の警固をさせるための命じた番役のこと。九州に置かれた異国警固番役と同様の役割を果たした。
 
 文永の役を受けて鎌倉幕府は長門国の御家人に警固番役を命じていたが、建治元年5月12日1275年6月7日)に長門の御家人のみでは不足として同じ山陽道に属する近隣の周防国安芸国の御家人にも長門警固の命が下され、更に8日後には備後国に対しても同様の命令が下された。彼らは長門探題などの統轄下に置かれ、結番を編成して交替で海岸などの要地の警固にあたった。
 更に建治2年8月24日1276年10月3日)には山陽道に属する残り4ヶ国(播磨国備前国備中国美作国)及び南海道に属する全6か国に対しても長門警固の命令が出され、更に既に動員されていた長門国などを含めた対象国に所在する公家領寺社領などいわゆる「本所領」に属している非御家人の武士たちに対しても動員が命じられたのである。
 この命令については、既に御家人が動員されていた安芸国の守護武田信時に対する御教書が残されており、更に出雲大社ゆかりの『出雲大社千家文書』にも出雲大社に属する人々が長門における石築地構築に動員されたことが記されている。
 
 こうした措置は弘安の役以後も継続され、一部は鎌倉幕府滅亡後も継続された。
 

転載元: 元寇を学び日本とアジアの平和を護る


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