(前回の続き)
1945年の沖縄戦は殆どすべての琉球文化を破壊し尽しました。形あるものとしての史跡や文化財などをはじめ、形のないもの、精神や心までをも踏みにじっていったのです。これらは20万人以上の尊い命と共に、わずか3ヶ月足らずの間に地上から姿を消しました。そしてヤマトの盾となりすべてを失った琉球に残されたのは米国による「占領統治」と「軍事基地」であったのです。ヤマトはここでも琉球とその人々を踏み台にして、「ヤマトの戦後復興」を成し遂げていったのです。ヤマトの戦後復興はあらゆる意味で米国の傘の下で行われたものであり、傘をかざす米国の軍靴は琉球の地にしっかりと食い込んでいたのです。
1945年の沖縄戦は殆どすべての琉球文化を破壊し尽しました。形あるものとしての史跡や文化財などをはじめ、形のないもの、精神や心までをも踏みにじっていったのです。これらは20万人以上の尊い命と共に、わずか3ヶ月足らずの間に地上から姿を消しました。そしてヤマトの盾となりすべてを失った琉球に残されたのは米国による「占領統治」と「軍事基地」であったのです。ヤマトはここでも琉球とその人々を踏み台にして、「ヤマトの戦後復興」を成し遂げていったのです。ヤマトの戦後復興はあらゆる意味で米国の傘の下で行われたものであり、傘をかざす米国の軍靴は琉球の地にしっかりと食い込んでいたのです。
復帰後の琉球にはヤマトから多くのものが流入して来ました。その中には人々の生活を豊かで便利にしたものもありましたが、近年では逆に人々の心を腐らせる退廃的なものもたくさん入り込んで来ました。そして結果としてはそれらすべてのものによって、琉球とその人々はヤマトに同化されてしまいつつあるのです。戦争と戦後の苦難を知らない人々は、その多くが伝統的な精神文化よりもヤマトの退廃的な文化に心を奪われてしまいました。先祖崇拝の教えと御嶽信仰の心は、米国やヤマトに奪われた最たるものであり、私たちは早くこの『宝』を取り戻して次代に引き継いで行かなければなりません。
先祖崇拝・御嶽信仰の心は今でこそ琉球固有の精神文化ではありますが、これはヤマトや他の国々と一線を画するようなものではありません。昔から世界各国とその人々の心に根ざすたくさんの宗教がありますが、琉球の教えはそのすべての宗教よりも古い時代からこの地にあるとされています。そしてその事は世界人類の起源が琉球にあるのでは? という事にもつながっているように思われます。長く待たない間にそれらの事は真実が明かされる事でしょう。そしてその時には世界中から『真の心』を求めて多くの人々が琉球を訪れる事でしょう。でも肝心の琉球にその心が残っていなければどうなるのでしょうか?
私たちは先祖代々受け継がれて来たこの大切な『真の心』を取り戻し、先祖崇拝・御嶽信仰を早く琉球の地から復活させたいと考えています。それはまた霊界・天上界からの強い願いでもあり、私たちはその事をたくさんの拝所でのメッセージとして聞かされています。先祖崇拝・御嶽信仰を復活させる事が琉球神開の果たすべきお役であると。人々の難病・ノイローゼの殆どが『霊症』であり先祖を供養して心を磨く道から救われる事は、すべての神々が『琉球の心』の復活を望んでおられる証しでもあるのです。
(一応、おわり)
(一応、おわり)
琉球神開 ブログ担当
樺山 久高
樺山 久高